城の崎にてのあらすじ「生きているということ」

      2017/05/14   文学

城崎温泉
志賀直哉「城の崎にて」は大正6年に発表された短編小説です。作者である志賀直哉自身が事故に合ったことから、生と死について考えた体験談が元になっています。

それでは「城の崎にて」の簡単なあらすじをご紹介します。

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志賀直哉「城の崎にて」あらすじ

物語は主人公が事故に合ったところから始まります。

城崎温泉での養生

主人公は、山手線にはねられて怪我をします。幸いにも背中に傷を負っただけで済んだのですが、養生のために一人で城崎温泉に出掛けました。

医者によると、2~3年の間脊椎カリエスにならなければ大丈夫とのことでした。

一人きりだったのですることもなく、読むか書くか、散歩をするかの毎日です。事故によって物忘れが多くなり頭もはっきりしませんでしたが、心はとても落ち着いていました。

しかし、一歩間違えれば命を落としていたということから、妙にあの世というものが身近に感じられるようになっていたのでした。

生き物たちと自分の命

城崎温泉で過ごす中で、主人公は様々な生き物に出会うこととなります。宿泊している部屋の窓辺には、蜂が飛び交っていました。

しかしある日、一匹の蜂が力尽きているのを見つけます。そしてその明くる晩の雨で、蜂は流されていなくなっていたのです。

また別の日には、川面を泳ぐネズミと出会います。首元には魚串が刺さっており、水面から上がれずにもがいていました。

周囲の人々はそれを見て笑ったり、石を投げたりして遊んでいます。それらの生き物たちを、事故に合った自分と重ねあわせて親しみを感じる主人公なのでした。

イモリと偶然の悲劇

城崎温泉に来てからしばらくして、今度はイモリに会います。主人公はそのイモリを驚かせようと、そばにあった小石を手に取り投げてみました。

イモリを狙う気は全くありませんでしたが、小石はイモリに直撃し、その小さな命を奪ってしまいます。

偶然にも生き物の命を奪ってしまった自分に妙な嫌気が差し、しばらくそこに座り込んで生き物の淋しさを感じていました。

生きるということを考える

偶然にも命を落としたイモリと、偶然にも命拾いした自分、そして以前に出会った蜂やネズミたちを考えると、彼らと自分との差はそれほどないのではないかと思えてきました。

それらは両極端にあるものではないのだと悟ったのです。

三週間の養生を経て、主人公は城崎温泉をあとにしました。それから三年以上が経ちましたが、彼が脊椎カリエスになることはありませんでした。

感想

ケガの療養に訪れた兵庫県にある城崎温泉で、主人公は生きることについて深く考察するようになります。小さな命と出会うことで、生と死についての感覚を研ぎ澄まされていったのだと思います。

物語の舞台となった城崎温泉はこちらのページで紹介しています。

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生きていることの奇跡

生き物たちは小さくてもしっかり生きている、そして自分も同じように一生懸命生きようとしている、命に小さいもの大きいもないのだと、自分と彼らは同じなのだと理解するのです。

同じような体験をしないと分からないことって、たくさんありますよね。そういう経験を経て、主人公は今自分が生きていることの奇跡を自覚したのではないでしょうか。

怪我をして初めて生きているということは偶然の産物であり、とても貴重なことなのだと感じたのだと思います。そういう考えになると、きっとこれから先の人生、無駄のないように生きていこうとするのでしょうね。

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