ブータンの日本人「西岡京治」が国王から称号を贈られた理由とは?

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ブータン
「ブータン農業の父」の呼ばれている人物がいます。日本が行った国際的な事業で、最も成功したと言われているのが西岡京治さんによる農業指導です。

1980年には当時の国王から「ダショー」という爵位を贈られます。民間人に贈られる最高の栄誉であり、外国人としては唯一のダショーとして国民に認知されています。

そんな西岡京治さんが亡くなったのは1992年、ブータン国民に愛された彼は国葬され、5000人が参列したと言われています。そこまでブータンの人たちに愛され、最高の爵位まで贈られた西岡さんが行った偉業とは、一体どんなものだったのでしょう。

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ブータンの日本人「西岡京治」

以前からヒマラヤの植物生態に興味を持っていた西岡さんは、大学時代の恩師の推薦によって、海外技術協力事業団の農業指導者として奥さんと共に1964年ブータンに入国します。

恩師とは、大阪府立大学大学院農学研究科の学生だった頃の助教授、中尾佐助さんです。中尾さんはブータンから農業の専門家を派遣して欲しいという依頼に、穏やかな性格と忍耐強い気性がブータンでの生活に耐えられるとして、西岡さんを選んだのです。

実際に西岡さんの忍耐強さは、ブータンでの農業指導にとても最適だったと言えます。

苦難の連続だったブータンでの生活

ブータンのパロという場所に到着した西岡さんを待ち受けていたのは、当時の農業局を仕切っていたインド人たちの冷遇でした。いきなりやってきた日本人に何が出来るんだ、そんな態度だったそうです。

しかし西岡さんは持ち前の忍耐強さで、まずは実績を示そうとします。最初に行ったことは試験農場の確保でした。ブータンにはまともな試験農場がひとつもなかったのです。

政府に掛け合いやっと提供されたのは、200平方メートル程の土地でした。そして手伝いの少年たちも数人付けてもらい、彼らを指導しながら日本の大根の種を植えます。この少年たちは後にブータンの農業を支える存在として成長していきます。

丁寧な指導の元、順調に大根は育ち、西岡さんの試験農場はあっという間に噂になり評判となっていったのです。そんな功績が認められ、さらに2年の任期を延長して欲しいという話が国王から出ます。

極貧地域の開発のため800回の話し合い

忍耐強く指導しながら、着実に西岡さんはブータンの国民に認められるようになります。そこで国王発案のプロジェクトの責任者に抜擢されます。

ブータンの中でも貧しい地域「シェムガン県」の開発です。この場所の人々は昔ながらの焼畑農法で生活していました。作物の収穫が減ると新しい土地へ行き森を焼く、そして畑を作る、この方法を繰り返していたのです。

西岡さんは10人のスタッフとシェムガン県の開発に尽力します。その中で一番大変だったのがこの地域に住む人たちの説得です。彼らとの話し合いは800回にも及び、ここでも西岡さんの忍耐強い性質が生かされました。

西岡さんが掲げていたのは「身の丈に合った開発」です。自分たちで出来ることは自分たちでやる、それを着実に実行していきます。費用の安いつり橋を作り、パイプや竹を使った水路をいくつも引き、自分たちの手で作った道路は300キロメートルにもなりました。

ここまでくると生活は激変します。学校が出来て診療所も作られ、生活が安定してきたのです。人々は西岡さんに大いに感謝をしたことでしょう。

そうしてダショーの称号へと

ブータンの生活を豊かなものにした功績は誰の目にも明らかです。そこで国王は西岡さんに「ダショー」の称号を授けます。ダショーとは最高の人という意味があり、ブータン国民は敬意を込めて「ダショー・ニシオカ」と彼を呼びます。

1964年にブータンに来てから1992年に亡くなるまで、西岡さんはずっとブータンの農業に従事してきました。28年もの間、ブータンに尽くしてきた彼は今もパロの地で眠っています。

夫の訃報を日本で受けた夫人は「お葬式はパロでお願いします」と言いました。きっとその方がいいだろうと判断したのです。

ブータンが大の親日国家である理由として、西岡京治さんの存在がとても大きいと言えるでしょう。日本人にはほとんど知られていない彼は、今もブータンという国で人々の心に生き続けているのです。

まとめ

ブータンで多大な功績を残した西岡京治さんは、ブータン農業の父と呼ばれ、今でも国民から尊敬の念を集めています。その実績は国同士の関係にも大きな影響力を及ぼしていると言えるでしょう。

実際に今のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王は、結婚後の初めて外遊に日本を訪れています。夫人を伴って京都を観光される様子はテレビでも放送されていましたので、覚えている方も多いのではないでしょうか。

海外で活躍する日本人について、日本にいる私たちはあまり知らないように感じます。もっと彼らの功績を知り、同じ日本人として誇りに思い、そして感謝すべきだと思います。

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