源頼朝のエピソード!奥さんに愛人の家を破壊された!?

      2017/02/05   歴史

源頼朝と北条政子の像
源頼朝と言えば「いい国つくろう鎌倉幕府」の人ですよね。1192年に鎌倉幕府が開かれたと学校で習いましたが、今は1185年になっているそうです。もう勉強する身分ではないので「そうなんだ~」ぐらいにしか感じませんが、現役の学生さんは大変でしょうね。

ではそんな鎌倉幕府を開いた源頼朝とはどんな人物だったのでしょう。気になるエピソードを調べてみました。

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北条政子は嫉妬に狂い愛人の家を破壊した?!

この方を語るうえで必ず登場するのは奥さんである北条政子さんですね。頼朝亡き後に尼将軍として権勢を振るったことは歴史の教科書でも習います。

激しい政子の行動

北条政子は嫉妬深い女性としても知られています。この時代は愛人の下に通って、子供をたくさん残すことが武士の務めでもありました。一般的に一夫多妻が普通だったので、政子の嫉妬心は当時でも珍しかったみたいです。

そしてその嫉妬を行動に移してしまうところが、後に尼将軍と言われる所以だったのかもしれませんね。

さらに嫉妬から起こった騒動を「吾妻鏡(あずまかがみ)」という歴史書に書かれてしまっています。ちょっと恥ずかしいような気もしますが、それだけ政子は激しい女性だったということでしょう。そもそも頼朝と政子の馴れ初めもドラマティックな感じになっています。

2人が出会った頃、頼朝は平氏に捕まって伊豆に流されていました。その頼朝の監視役が政子の父親である北条時政だったので、許されない恋でありながら、その情熱から成就させているところが凄いと言えるでしょう。最初は父親も反対していましたが、最終的には許して頼朝の後援者になっています。

歴史書にも記された「亀の前事件」

そんな嫉妬が激しい政子の目を盗んでは、頼朝は愛人を作っていました。そんな頼朝に激怒した政子は自分の継母の父親・牧宗親(まきむねちか)に命じて愛人・亀の前(かめのまえ)の家を破壊してしまいます。

しかし寵愛を掛けている女性に乱暴なことをされたのでは頼朝も黙ってはいません。牧宗親を呼び出し責めますが、怒りの収まらない頼朝は牧の髷を切り落とします。

それに怒ったのが政子の父親です。自分の妻の父親に乱暴されたので、一族を引き連れて故郷である伊豆に引き上げたと、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」は伝えます。この一連の騒動を「亀の前事件」と呼びます。

そもそも牧宗親は政子に命じられたので、この人を責めても意味が無いように感じますが、怖くて政子本人には何も言えなかったのでしょうか(笑)だとしたら周りの人たちはただ巻き込まれただけで、とても気の毒ですね。

源頼朝の最期には謎が隠されている?!

不気味な夜の月明かり
政治的に重要な戦争を勝ち抜き、見事に鎌倉幕府を開くことになるのですが、実は頼朝の最期には謎が多く付きまといます。史実では落馬が原因だと伝えているのですが・・・。

歴史書にある謎の空白期間

しかし歴戦の猛者である頼朝が、馬から落ちた程度で亡くなることなんてあるのでしょうか。よっぽど打ち所が悪かったと言われればそれまでですが、歴史書「吾妻鏡」には空白の期間があるのです。この欠落した間に頼朝は亡くなっている事から、もしかして何かがあったのではないかと言われています。

初代将軍が落馬で亡くなったなんてみっともないから伏せておこうという説、さらに妻である北条政子が頼朝の最期に関わっていたのではないかという説も出ており、まさしく謎がナゾを呼ぶ状態になっています。

落馬した直後ではなく数日後に亡くなっている事もさらに怪しく感じますし、吾妻鏡に実際に頼朝が亡くなったことが記述されるのは、13年も経過してからということも変ですよね。

こうなると権力を握っていた政子が怪しいのではないかと言われてしまうのも、しょうがないことなのかもしれません。

相次いで亡くなる実子たち

そのあと鎌倉幕府は頼朝の子供である源頼家(みなもとのよりいえ)が2代目になりますが、18歳で家督を継いだため周りの人たちとの軋轢を生み出すのです。それが原因で追放された後、母親の実家である北条氏の手に掛かって亡くなります。

そして3代目は源実朝(みなもとのさねとも)になりますが、この方も身内の手によって亡くなっています。

政子にしてみれば2人とも可愛い我が子ですが、実子が相次いでいなくなったことで自分の実家が権力を持つことになった事実はどうしても気になりますし、何かしら陰謀めいたものを感じてしまいますね。

まとめ

源頼朝のエピソードには必ず正妻である北条政子さんが関わっています。愛人関係で騒動を起こしたことは歴史書も伝えますし、最期のナゾに関しても政子が怪しいという説もあり、それだけ印象深くて権力を持った女性を妻にしたということなのでしょう。

ちなみに1185年の語呂合わせは「いい箱つくろう鎌倉幕府」と覚えるらしいです。「いい国1192」で慣れ親しんだ世代からすると「いい箱1185」という響きは馴染めませんが、今勉強されている学生の方はいい箱の方で覚えてくださいね。

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