春日局が大奥に込めた想い!謀反人の娘からの成り上がり

      2017/01/20   歴史

春日局が大奥に込めた想い!謀反人の娘からの成り上がり
小説やドラマの題材としても頻繁に取り上げられる春日局は、歴史上の人物の中でもかなり有名な方でしょう。

10年以上前ですが、フジテレビで大奥のドラマが流行したことでもよく知られるようになりました。女性同士の静かなバトルは、毎回ハラハラしながら見ていたのを今でもしっかりと覚えています^^;

そんな春日局ですが、一体どんな人物で、どのような想いで大奥を仕切っていたのでしょう。

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春日局が大奥に込めた想いとは?

もともと大奥は家康の時代にもありましたが、曖昧だったものを2代将軍の秀忠とその正室であるお江が制定し、それを春日局がきちんと整備しました。

それでは大奥の成り立ちの前に、まずは春日局の人生を見ていきましょう。

春日局の生い立ちって?

春日局は本名を斎藤福(さいとうふく)と言い、明智光秀の家臣である斎藤利三(さいとうとしみつ)の娘として誕生します。しかし明智光秀は主君である織田信長を討ったことで知られていますが、福の父もその場にいたのです。ということは、春日局の父親は信長を討った謀反人になりますね。

そのため斎藤利三は捉えられ処刑されます。その場には当時4歳だった福も居合わせたと言われており、もし実際に父親の最期に立ち会ったのだとしたらどんな想いだったのでしょう。

その後は母親と共に流浪の身となっているので、その頃どうしていたのかということがハッキリと分っていません。

流浪後は母親の実家である稲葉家に引き取られ、そこで公家に養育されたことで書道や歌道の教養を身に付けています。この知識がのちに乳母になるときに役立つのですね。それから伯父の養女となり稲葉正成(いなばまさなり)の後妻になりました。

この夫がかなりの女性好きだったことで、浮気に激怒した福は愛人の一人を手に掛けたとも伝わっています。このエピソードはドラマや映画でもよく使われているので、事実だと思っている方も多いのではないでしょうか。実際のところは分っていませんが、そんな逸話が出てくるような激しい女性だったのかもしれませんね。

家光の乳母として奮闘!

流浪の身からなんとか立て直し、結婚して子宝にも恵まれましたが、夫の主君である家が断絶したことでまた流浪となります。しかも今度は家族揃ってですから、福はたまったものではなかったでしょう。

ちょうどその頃、江戸では徳川秀忠の子供(竹千代)の乳母が募集されていました。この乳母になるために福は夫と離婚したとも言われていますが、これにも諸説あり、夫から離婚したという説、夫婦で考えて離婚したとも伝わっています。

正式に乳母として採用されてからは、その愛情をたっぷり掛けて竹千代の養育に当たります。この竹千代が3代将軍になる徳川家光です。

福が家光に対してかなり愛情を注いでいたというエピソードが伝わっています。家光の弟ばかりを可愛がる秀忠とお江のせいで、時期将軍はこの弟の方になるのではないかと心配した福は、家康の下にまで出向いて実情を訴えたのです。ただの乳母が初代将軍に何かを言ったりできる時代ではなかったでしょうから、命を懸ける覚悟だったと思います。

さらに家光が病気になったときには「薬断ち」をして家光の回復を祈願しました。この思いが通じたのか家光は全快しますが、このときの約束をずっと守り続けた福は、自分が病になっても薬を飲もうとはしなかったそうです。

男色の家光に世継ぎを!

凄まじい愛情を掛けて育てた家光は無事将軍になり、福は大奥を取り仕切るようになります。最初は家光の母親であるお江の下で働いていましたが、お江が亡くなってからは家光の側室探しに奔放します。

このお江との確執も噂されていましたから、お江がいなくなったことで名実ともに大奥のトップになったときの福の気持ちがどんなだったのかは、なんとなく想像できますね^^

しかしトップになったらなったで悩みはあります。愛情を注いで育てた家光は男色だったらしく、女性に興味を持ちませんでした。家光が中年になっても世継ぎが出来ないことに、福はかなり悩んだことでしょう。

そして様々な女性を家光に送り込みます。しかし大奥には良い家柄の娘さんがいるにも関わらず家光が気に入った女性というのが、尼さんだったり古着屋の娘だったり八百屋の娘だったりですから、庶民的な女性が好みだったのでしょうね。

とにかく家光好みの女性を送り込み、無事に世継ぎをもうけることが出来たのですから、福もホッと胸を撫で下ろしていると思います。

「春日局」として・・・

「春日局」として・・・
世継ぎが出来た頃には福もかなりの権力を握っていました。そして私たちがよく知っている「春日局」という名前を天皇から下されるのです。

謀反人の娘から将軍を支える人物として絶大な権力を持つまでに至ります。その証拠に春日局の縁によって出世した人たちがたくさんいるのです。息子の稲葉正勝や孫の堀田正盛、元夫は大名になっています。

しかし春日局として権力を持っていたのは、やっぱり家光から厚い信頼を得ていたことが大きいと言えるでしょう。乳母として自分を育ててくれた人でもありましたが、実の両親から疎まれた家光にとっては、本当の母親のような存在だったはずです。その家光の権力がバックにあったからこそ、春日局は絶大な権力を持つことが出来たのだと思います。

そんな家光への愛情や不遇の少女時代を経て、春日局にとっての大奥には、女性としての栄華が込められているのではないでしょうか。

まとめ

春日局は謀反人の娘として育ち、大奥で絶大な権力を手にするまでになりました。大奥には春日局の様々な想いが込められているのです。

かなりの修羅場も経験してきているでしょうし、肝っ玉も据わっていたのだと思います。だからこそなんの後ろ盾もなかった女性が将軍の乳母にり、現代にまで伝わる歴史を作ることが出来たのでしょう。

女性が強く生きるための秘訣を、春日局はたくさん持ち合わせていたように感じます。女性としての悩みを抱えているときには春日局の人生を考えてみると、何かヒントをいただけるかもしれませんね。

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