ゴッホの人生、壮絶な生涯を送った天才画家

      2016/11/15   歴史

ゴッホの人生、壮絶な生涯を送った天才画家
画家として世界的に著名なゴッホですが、代表作と言えばひまわりの絵ですよね。ゴッホの人生を見ていくと、挫折と精神障害、自ら命を絶つなど、壮絶な人生を歩んできた人物です。

歴史の偉人で壮絶な生き方をした方はたくさんいますが、なかでもゴッホにはかなりの逸話が伝わっています。そんなゴッホのエピソードやトリビアをご紹介します。

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ゴッホの人生

フルネームはフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホといい、37歳の若さで亡くなった天才画家です。

自分の耳を切った!?

ゴッホが起こした有名な事件と言えば、自らの耳を切るという行為が一番有名でしょう。この衝撃的な事件は多くの方もご存知だと思います。

その衝撃の事件とは、日曜日の夜11時30分、娼館に現れラシェルという女性を呼んで自分の耳を渡し「これを大事に持っていてくれ」と言い残し姿を消したそうです。

通報を受けた警察は、翌朝ゴッホが瀕死の状態で自宅のベッドに横たわっているとこを発見しました。

ゴッホが自分の耳を切った理由には諸説があるのですが、当時ゴッホは同じく画家のゴーギャンと共同生活を送っており、このゴーギャンとの関係が悪くなったことで、発作的に耳を切ったとも言われていますが、ゴッホ自身はこのことについて何も話をしていません。

この事件をきっかけにゴッホは精神病院へ入院し、時折精神的な発作を起こしながらも作品を作り続けてきたというから、かなり壮絶だったことが分かります。

1枚しか絵を売っていない!?

ゴッホに関するエピソードはとても多いと言われています。なかでも「ゴッホは生涯に渡り一枚しか絵を売っていない」というものがあります。

「赤い葡萄畑」という絵がその一枚です。しかしゴッホは、数枚の絵を売っていたという説もあります。

彼の死後、急速にゴッホの知名度が上がり、それと同時に彼の作品も評価されるようになりました。

実際にゴッホが画家として活動していたのは、ゴッホが亡くなる前の約10年間ほどです。もっと長生きしていれば、かなり成功した画家になったことでしょう。

弟テオとの関係

ゴッホは若いころ職と住む場所を点々とし、画家として活動し始めてからはほとんど弟(テオドルス・ファン・ゴッホ)の支援に頼っていました。

テオは画商であり、兄ゴッホの唯一の理解者でした。しかしテオが結婚し子供が生まれたことで、ゴッホは自分と弟との関係性に不安を覚えていたようです。

そのテオは、元々病弱だったこともあり、兄が亡くなってから半年後にこの世を去りました。34歳の若さでした。

テオの死後、その妻によって兄ゴッホの墓石の隣に並んで葬られています。

まとめ

ゴッホは1890年7月27日、拳銃で自らを撃ち、29日未明に弟のテオに見守られながら息を引き取りました。

とても悲劇的な結果に終わってしまったゴッホですが、未だに多くの人から愛される作品を世に残しているのは紛れもない事実だと言えます。

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